Eric Sibony はShiftのチーフサイエンティスト兼チーフプロダクトオフィサーです。本稿「4つの質問」では、エージェンティックAIとは何か、保険会社がどのように使い分けるべきか、適したユースケースはなにか、そしてShiftはAIを自社製品にどのように組み込んでいるかについて、Ericにが答えました。
近年、エージェンティックAIに関する話題が市場で盛り上がっており、その期待が先行することで混乱も生じています。では、エージェンティックAIとは何か、そして保険会社がすでに活用している他のAIとどのように違うのでしょうか。
エージェンティックAIとは、端的に言えば「複雑な自動化を担うために設計されたAI」です。わかりやすい対比として、空港の無人トラムを例に考えてみましょう。トラムは自動でターミナル間を移動しますが、その動作はあらかじめ決められた手順の繰り返しで、比較的単純です。
これに対してエージェンティックAIは、自動運転車の発展に近いイメージです。自動運転車をするためには単に地点Aから地点Bへ移動するだけでなく、都市の道路を走行しながら他の車や歩行者を避け、信号に従い、さまざまな交通ルールを守る必要があります。そのため、走行の一瞬一瞬で入ってくる情報を正確に解析し、適切に判断することが求められます。たとえば「これは一時停止すべき標識か、進行優先の標識か」を見分け、その判断に応じて「完全に停止する」か「減速して周囲を確認してから進む」かを決める――こうした高度な判断力と状況への適応力を備えているのが、エージェンティックAIです。
では、保険業界でよく使われている他のAIとエージェンティックAIの違いを、もう少し具体的に説明します。機械学習(ML)は時折「予測AI」と呼ばれることもあり、複数のデータソースを取り込んで、たとえば「不正の疑い」といったスコアを算出することを得意とします。MLはまた、そのスコアに寄与した要因を示すこともできます。しかし、スコアを算出した後に「そのスコアに基づいて具体的に何をすべきか」を自律的に判断して実行する、という役割にはあまり向いていません。
生成AIは、データを解析して何かを作り出すことに特化した技術です。保険分野では、請求書類の要約、不審請求時のSIU(Special Investigations Unit / 特別調査部門)向け対応案の作成、契約者への状況連絡メールの自動作成などに利用できます。生成AIは機械学習より高度な自動化も可能ですが、多くの場合はデータの抽出や分類をもとにした比較的単純な作業が中心になります。
エージェンティックAIは単に「答えを返す」だけでなく、「依頼に基づいて実際に行動を起こす」能力を備えています。たとえば航空券の手配を例に取ると、多くの人は希望の時間帯を調べ、料金を比較し、座席を選んで支払いまで行う一連の作業を自分で行います。エージェンティックAIに「2026年1月1日にパリからボストンへの航空券を手配して」と依頼すれば、必要な条件を少し指定するだけで、要件に合う便を探し出し、予約を確保し、支払い処理まで完了させることが期待できます。 つまり、人に依頼をして手配してもらったかのような行動をAIが実行するのです。
本質を整理すると、LLM(大規模言語モデル)やチャットボットなどは「問いに答える」ツールであるのに対し、エージェンティックAIは「依頼に対して実際に行動を起こす」実行者である点が最大の違いです。これが、AIエージェントの能力を理解するためのもっとも分かりやすい観点だと考えています。
保険会社はエージェンティックAIをどう活用すべきか。どの業務に適していて、どのような場面には向かないのか。
エージェンティックAIの特性を踏まえると、保険会社はこれを「複雑な自動化を担うAI」として活用を検討するのが適切です。つまり、推測ができ、複数の処理を順に実行できること、構造化データと非構造化データの両方を扱えることが大きな強みです。さらに、自社データに加えて外部データも統合して活用できる点が重要なポイントになります。
保険業務におけるエージェンティックAIの最適な領域は、請求処理の各段階に広がっています。具体的には、初期トリアージでの振り分け、次に取るべき最適な対応の提示、時間的要因や緊急度に応じた処理、代位求償(サブロゲーション)の支援、そして複数の書類や過去の判例・処理結果を横断して関係性を見出すような業務が挙げられます。要するに、単一の予測で完結する作業ではなく、状況に応じた判断を要するプロセスにおいてエージェンティックAIは特に有効です。
一方で、エージェンティックAIが最適でない領域もあります。たとえば警察報告書の自動取得や、単純なスコアリングのような明確なルールで処理される業務においては、従来の機械学習(ML)の方がコスト面や精度面で有利な場合が多いです。したがって、用途に応じて最適なAI技術を選ぶことが重要です。
もう一つ、実運用で非常に重要な点があります。エージェンティックAIを導入する際には、業務のドメイン特有の制御を組み込み、「分からない(I don’t know)」と明示して処理を停止・エスカレーションするフォールバックを用意する必要があります。これは、AIが根拠なく回答や行動を生成してしまうリスクを抑えるための対策です。加えて、重要判断や例外対応には人が介在するチェックポイントを設けることで、運用の信頼性を確保することが重要となります。
Shift はエージェンティックAIをどのように捉えているのか。
Shift はエージェンティックAIを、「推測を行い、複数のステップを実行し、非構造化データや外部データを統合できる強力な自動化ツール」と位置づけています。一方で、保険分野におけるAIが万能ではないことも認識しており、すべての課題に一律に適用できるソリューションにはならないと考えています。重要なのは、取り組む課題に最も適したAI技術を選んで適用することです。
当社のアプローチは、保険会社がエージェンティックAIを導入しやすくすることに重きを置いています。具体的には、用途ごとに設計したエージェントを Shift Claims に組み込み、保険会社が一から開発しなくても利用できる形で提供します。加えて、生成系モデルやエージェント系モデルを従来の機械学習(ML)によるスコアリングと組み合わせ、保険会社が安心して運用できる管理体制で全体を支える構成を採用しています。
具体的には、出力の照合・検証チェックや、判断できない場合に明示的に「分からない(I don’t know)」と返して人に引き継ぐフォールバック、必要に応じて人が介入できるエスカレーション経路などを組み込む仕組みを整えています。
エージェントの適用対象は、複雑でばらつきの大きい請求やトリアージなど判断と適応が求められる領域とし、単純でルール化された処理は自動化の対象外としています。さらに、実運用からのフィードバックを継続的に取り込むことで、モデルの安全性と精度を段階的に向上させていきます。
なぜ Shift Claims に組み込まれたエージェンティックAIが保険金請求に適しているのか。
保険金請求処理は非常に複雑で個々の事案ごとにばらつきが大きく、メモや各種書類、メール、写真などの非構造化データが大量に発生します。エージェンティックAIはそうした情報を取り込んで解析し、現在の請求を過去の事例と照らし合わせたうえで、複数の手順を自動で実行できます。その結果、緊急度や優先度を踏まえた「次に取るべき最適な一手」を提示できるため、トリアージやケースマネージメント、個別対応が必要な複雑案件で大きな効果を発揮します。
Shift Claimsの導入により、判断の一貫性と処理スピードが向上し、損失削減効果を定量的に把握できるようになります。監督機能は人が担うため安全性は保たれつつも、AIと人の協働によって現場の判断力が高まり、業務の効率化と成果向上が期待できます。